ざつおん

30代後半グラフィックデザイナー(女)による他愛もない話。

ブリーフよ、ありがとう

私、3歳頃からの記憶がちゃんとある。
 
何年何月何日に、というほど具体的な記録ではなく、こんなことがあった、というエピソードの記憶なのだが。
みんなそんなもんだろうな〜と思っていたら、どうやら小さい頃や学生時代の記憶がない人が多いらしく、驚かれたし驚いた。
 
私にとって「過去」は、巨大な壺の中でごちゃ混ぜになっていて、たまにそこに手を突っ込んでエピソードを取り出しては眺める、といったようなモノなのだ。
その壺に入っている「過去」はどんな状態かというと、今を含む直近の記憶を感情が絡んだ「生モノ」だとすると、既に何の感情も思い起こさない「乾モノ」という感じの、出来事の起承転結をまとめた搾りかすのような記録である。取り出して眺めている間に湿り気を帯びて、その時の感情(笑いや怒りとか)を思い出すことはあるのだが。
 
「生モノ」が乾ききるまでの時間はそれぞれのエピソードのパワー次第だが、なんとなく5年よりも前の出来事は、だいたいその壺に入っている。
 
つまり、今となっては20代も、高校生の頃も、3歳の頃も同じテンションで「こんなことあったよねー」という1つのカケラにすぎないのだった。
 
 
例えば歌のエピソードを取り出してみる。
 
「アンナンナ」という思いついた言葉に執心していた4歳位の頃、「金銀パールプレゼント♪」の曲調で「アンナンナってなぁに♪」とママに毎日のように歌って聞かせてた事。(この頃思いつくキーワードって謎でいいよね)
それと、
高校生の頃に、隣の工業高校の男子数人と地元のカラオケにいった際、周囲の女子から人気が高かったイケメンがキックザカンクルー の「クリスマスイブ・ラップ」を歌ってた事。(ちなみに彼は今、東高円寺で居酒屋をやっているはず)
この辺は同じくらいのレベルで「乾モノ」として存在している。常に覚えているというよりは、先述の「蛇穴くんの帽子」のように、何かに関連してスッと壺から現れたりするのである。
関連して思いつくというのは仕事のアイデア出しでもなかなか役に立っているので、私の海馬、なかなかいい仕事してくれてる。
 
 
ただ、その記憶の壺の中にも強弱はあって、衝撃的だったことはしょっちゅう表に顔を出す。なんの関連も無しによく思い出す強度がある記憶、というのは確かに存在していた。
 
 
あれは中学1年生の頃だった。
 
 体育の授業は、手前の休み時間中に教室で体操着に着替えることになっていた。
 
当時、学校指定の肉厚で大きい白Tシャツはダサいとされていて、市販のスポーツブランドのTシャツをチビT風に着るのが流行っていた。もちろん私もチビT派。スポーツ用とあって薄手の生地なので、小さく折りたため、荷物の多い体育の日の持ち運びも楽でよかった。
 
さて着替えるか、と、パッとTシャツを広げて腕を入れようとした時である。
様子がおかしい。
あるべき場所にある穴がない。
手を出すべきところが妙に広い。
スポーツTシャツにしては生地が厚い。
 
 まさか、学校指定の方を持ってきてしまったか?いや、でもそんなに大きくないし…と、着ようとしたそれを広げて確認すると。
 
 
 
それは、父の、巨大なブリーフだった。
 
 
 
は!!!!!!!!??????
まずは瞬時に「教室である」という現状を把握し、サッと周囲を見渡す。よし、誰も気がついていない。
セーフ。
ものすごい速さでバッグにブリーフを詰め込む。
 
 
なぜ。ここに。これが。
 
 
母が洗濯物を畳んだ後に戻す場所を間違えたのか?わたしが手に取り間違えたのか??
いや、今考えても仕方ない。問題は今ここにあるのが、ブリーフだということ。
 
13歳。男子も思春期に突入した今、この教室で堂々と着替える彼らの中に、ブリーフ派は一人もいない。皆、トランクスだ。小学生の頃は親に言われるままに白いブリーフだったはずが、今や自らの意思でトランクスを選択しているのだ。自我が目覚めた今、直前に卒業した文化を「ダサい」「恥ずかしい」と思うのが人間のサガである。彼らにとって今一番タブーなもの、それは今私の鞄の中にある、白いブリーフだ。
 
これが、教室にうっかり落ちていたりなんかしたら…?
そこそこ使い込まれて、洗いこまれて、いい感じにくたくたになった白いブリーフを、うっかり持ってきたのがバレたりしたら…??
 
 想像するだけで恐ろしい事態である。
 
いや、とりあえず私は、誰にもバレずにカバンに詰め込んだんだ。
セーフ。
さて、しかしその日の体育は柔道。ジャージの上に柔道着はNGなのだ。
アウト。
もちろん私は、体操着を忘れたということにして、見学した。
人生的には、セーフ、である。
 
 そして、上京してお酒を飲むようになるまで、私はこのエピソードを誰にも話すことができず、しばらく「生モノ」として思い出しては悶絶する日々が続くのであった。
 
 
あの日のブリーフショックは本当に忘れられないのだが、壺の中の出来事となった今や「面白い話しして?」とか「人生で一番恥ずかしかったことは?」と会話を無茶に振られた時の鉄板ネタとして、私の人生に役立ってくれてる。
 
 
ありがとう、ブリーフ。
過去の記憶を納めた壺の中でも、いつもかなり取り出しやすいところにスタンバってくれている、ブリーフ。
 
 
ちなみに、今、父はトランクス派である。
なんで。